特集:レ・サン・ジョルジュ 「ほとんどグランクリュ」な畑
Written by カール・ロビンソン(翻訳:松永文吾)
ブルゴーニュの偉大なテロワールの格付けには、畑の歴史や起源が背景にありますが、さらに重要なものに、政治、経済という事情も隠れています。
コート・ドールにおけるPremierおよびGrand Cruの格付けは1936年のAC (Apppellation Controle)法の整備の一環として行われました。畑のオーナー、農家と地方の行政それぞれがAC法を司るINAOに、村ごとの畑の格付けを申請しました。
当時、すでに偉大な畑のワインというのは歴史的に位置づけが確立しており、一部の土地のワインは市場において高く評価され取引されていました。例えば、何世紀にもわたり、Chambertin, Musigny, Corton Charlemagneといった畑からは 偉大なワインが生み出されており、これらの偉大な畑が、ワイン法におけるニュイとボーヌの村の範囲を決める際に決め手となりました。Gevrey村は隣の偉大なChambertinの畑に連なり、Gevrey-Chambertinと命名され、Vosne村はVosne-Romaneeに、Chambolle村はChambolle-Musignyといった風に、偉大な畑にあやかる形で村名ワインの範囲が決められていきました。
その中でも、Volnay, MeursaultにPommardといった村はこれらの偉大な畑を持たず、当時のフランス王ルイ・フィリップはこれらの村にはGarnd Cruを制定しませんでした。
しかし、その中でもこのGrand Cruの命名に例外がありました。それがNuits村、そしてそのグラン・クリュ、Les Saint Georgesです。
Les Saint GeorgesはNuits Saint-Georgesの村名の起源にもなったように、1936年の格付けの時点ではGrand Cruの評価を受けていました。しかし、当時の政治的、経済的事情が、この畑の運命を変えてしまいます。
1929年、この地域はひどい不況に苦しんでいました。多くの栽培家は家計をやりくりするのに苦しんでおり、その年以来、経済的に厳しい状況に悩まされていました。
ティボー・リジェ・ベレール氏「Les Saint GeorgesはGrand Cruに格付けされるはずだった畑でした。しかし畑の所有者は、当時の不況下では、Grand Cruに格付けされることで生じる高い税金を払う経済的余裕がないために、その申請を行えませんでした。」
当時から、ワインはネゴシアンを通して売られていました。その後、ブドウやワインの仕入れ値を低く保つため、ネゴシアンから栽培家へは、この土地のワインの格付けを低いままに保つようなプレッシャーがかけられ続けました。「私たちのワインにキミたちのブドウは使ってあげるけれども、グラン・クリュの価格では支払わない」という風に。このような理由で1936年の格付け後も、Les Saint Georgesの畑は今日まで、Grand Cruに再格付けされていません。
このようにLes Saint GeorgesのPremier Cruとしての運命は決まってしまいました。
時が経ち、今日では新しい世代の栽培家、畑の所有者がGrand Cruへの復活登録を申請しています。このような畑の昇格は、近年において前例があります。(1981年のClos des LambraysのPremier CruからGrand Cruへの昇格など)。この畑がGrand Cruに格付けされるのも、時間の問題といえます。
しかし現在、Les Saint Georgesの畑は、Grand Cruのクオリティがあるにも関わらずPremier Cruの価格で手に入れることができます。
Domaine Thibault Liger-BelairはLes Saint Georges最大の所有者で、2.1haの所有畑には、1940年代から続く歴史ある古樹が植わっています。この土地からは荘厳な、熟成させる価値のあるワインが生まれ、ワイン愛好家の注目を集めています。
今回、Cellar Door Aoyamaのメールマガジン購読者の皆様に、「ほぼ」グラン・クリュといえるこの畑の、2つの垂直ワインセットをご紹介いたします。