キーワードで追うペトリュス
ペトリュス、といえば、ワインラバーの憧れのワインの代表格。誰もが一度は飲んでみたいと思うワインではないでしょうか。でも、なぜこんなに高いのか、どうして今の神格化とまで評されるようなワインとなったのか、とても興味が沸くところです。今回はキーワードを基にペトリュスの背景を紹介しましょう。
■Madame Edmond Loubat
1920年代初頭から1961年までのペトリュスの所有者で、ペトリュスの国際的名声を築いた人物として知られています。1925年より当時の所有者アルノー家から資産を購入し、1941年には完全所有となりました。1920年代当時、ペトリュスの実力はフランス国内では知れわたっていましたが、国際市場の中ではまだ無名のワインでした。現代であれば、インターネットやSNSにより優れたワインは瞬く間に広がっていきますが、当時はまだネットやテレビもない時代。そんな中新たな商路を拓いたのが鉄道の開通。彼女は国を超えてロンドンへ赴き、直接ペトリュスを売り込みました。当然そのクオリティの高さから、ペトリュスは高級ワインとして市場に認知されるようになります。このロンドン行脚で特に大きな成功は、ニューヨークのレストラン、「ル・パヴィヨン」での独占販売。これによりアメリカ東海岸市場ではペトリュスは上流階級のシンボルとして知られるようになりました。ワインはボルドー一級シャトーと同等の高値で取引され、1947年に英国のエリザベス女王の婚姻にペトリュスが贈られたことも、ワインの名声をより高めることとなりました。1980年代のロバート・パーカーの出現以前は、博覧会での受賞などの象徴的な出来事、または上流階級での草の根活動などでワインの名声は時間をかけて築かれていたようです。
■1956年の霜害とボルドー初のRecépageの挑戦
1956年の2月といえば、ボルドーを悲劇的な霜が襲った年として知られています。-10℃を下回る低温が続き、ペトリュスにおいてはブドウ樹の2/3が枯死してしまうという衝撃的な事態でした。被害を受けたほとんどのシャトーが畑の植え替えを余儀なくされる中、ペトリュスでは台木に新たに接ぎ木するRecépageという手法をボルドーで初めて挑戦します。マダム・ルバの英断により台木の樹齢は守られ、ワインのクオリティは保持されました。
■Moueix Family
現在のペトリュスの所有者です。マダム・ルバは国際市場への売込みを仕掛けた後、ワイナリーでの仕事に注力するようになります。その結果1943年には、現在のペトリュスのオーナーとして知られるムエックス家をディストリビューターとして選任します。1961年にマダム・ルバが亡くなって以降は、姪のリリー・ラコストといとこのジャン・ルイ・ロベール・リニャックに引き継がれましたが、徐々にムエックスファミリーへ売渡し、1969年にムエックス家が完全所有となり、ペトリュスの近代史が始まります。
ムエックス家はブドウのクオリティの為なら技術を積極的に導入することでも有名で、
・1984: 収穫前のヘリコプター飛ばし(ブドウについた雨粒を飛ばす)
・1992 1993: 畑にビニールを敷く(雨の浸水を防ぐ)
・1999: 畑にアルミ板を敷く(雨風の浸水を防ぐ)
等の大胆な方策も行っています。
次回は畑の土壌の秘密や、ペトリュスの近年の動向やヴィンテージごとの評価をお届けします。お楽しみに。