ワインの評論家 ロバート・パーカー

written by Bungo Matsunaga

ワインは世界中で様々な品種が生産されており、また新たな産地が毎年発掘されています。産地、品種、ヴィンテージ、生産者など全ての要素を含めると市場に存在するワインはもはや星の数ほどあるといってもよいでしょう。そんな中、どのようなワインが美味しいのか、というのはワイン消費者が常に欲している情報です。それにこたえるように存在しているのが、ワインの点数です。現在では様々なワインライターやメディアがワインに点数をつけています。ワインスペクテーター、デキャンタ、ワイン・エンスージアスト、ジェームズ・サックリング等々ありますが、世にワインの点数を広く普及させ、未だに業界随一の影響力を持っているのが、ロバート・パーカーの出版するワイン・アドヴォケイトでしょう。ワインを100点満点方式で採点する方式を初めて取り入れ、瞬く間に世界中のワイン消費者・小売店のバイブルとなりました。その影響力はとても強く、ロバート・パーカーによってカルト的な地位を手に入れたワイナリーに、新興の高級ワイン産地にまで押し上げられた産地も数知れず。また、世界のワイン業界を変革した、と皮肉を込めて称されることさえあります。今日はそんなロバート・パーカーについてのお話です。


生い立ちからワイン評価誌刊行まで
ロバート・パーカーの生まれはアメリカのメリーランド州、オークトン。いわゆる田舎町で、幼少期からワインに囲まれ育った、という環境とは違っていたようです。1947年に生まれたパーカーは学生時代、サッカーチームのゴールキーパーとして郡代表に二度選ばれるなど活躍し、怪我をしてサッカーから距離を置いた後、大学生の時に、当時お付き合いしていたパトリシア(現妻)を追ってフランスへの旅に出ます。この時に味わったワインと食事の体験が、今まで続くパーカーのワインの情熱の原点です。6週間に渡る旅が終わりアメリカに帰ったパーカーは、ワインの書物を買い漁り、様々なワイン会を主催してその経験値を重ねていきました。ソムリエからテイスティングの手ほどきを受ける、という形ではなく、あくまで我流。むしろワインの評論を見る時の「これは誰々の絵画のよう~」のような婉曲的な表現に、消費者サイドには味わいが伝わらない、と不満を持っているほどでした。大学卒業後にパトリシアと結婚。1970年に大学を卒業し法科大学院に進んだ後も、妻と共にヨーロッパを旅し、フランス語ができる妻を通訳に有名シャトーを訪れワインの情熱をさらに燃やしていきました。大学院卒業後はボルティモアの農業信用金庫で法律家としてのキャリアをスタートさせますが、学生時代から彼の情熱はワインに注がれていました。当時1970年代はアメリカにおいても美食とワインのブームの兆しが見えてきた頃で、西海岸ではナパ・ヴァレーのワイン、東海岸ではヨーロッパ産のワインがブームになりつつありました。仕事が順調に進んでいたにもかかわらず、パーカーは1977年、ついにニュースレター第一弾を刊行し、ワインの評価を副業として始めます。当初は「ボルティモア・ワシントン・ワイン・アドヴォケイト」と名付けられました。年間購読料は10ドルと、少し無謀にも思えました。当時パーカーよりも名を馳せていたワイン誌も多くあったのですが、徹底した消費者志向の表明、そしてターゲットの消費者にとってわかりやすい、100点満点の採点法が他のワイン評論家と異なっている点でした。ボルドーの格付けシャトーやカリフォルニアワインについて刊行当時は特集していましたが、言葉選びには遠慮がなく、また比喩的表現も多用していました。「飲めば健康を害するかもしれない」と言われたワインもあるほどです。

伝説の1982年ヴィンテージ
ワイン・アドヴォケイト誌も新聞での紹介などいくつかの転機を経て購読者が多くなっていきましたが、飛躍のきっかけとなった出来事は、評論家の間で意見が分かれたボルドーの1982年ヴィンテージといえるでしょう。その年は、全てのタイミングが合った年ともいわれ、早い開花と順調な生育により、右岸では史上最も早く収穫が行われるシャトーもあったほど、ブドウの生育が順調に進み、収量・品質ともに最高水準のものとなった年です。ボルドーでのバレル・テイスティングから戻ったパーカーは試飲の際の興奮をそのまま紙面におこしました。ところが他のワイン評論家の中には、温暖だったが故にその熟成能力に疑問を呈するものが多く、この1982年が偉大なヴィンテージであるかについて、対立することになりました。その後年月と共にこのヴィンテージが20世紀の中でも特に偉大なヴィンテージと知られるようになると、パーカーの市場における存在感も増してきました。

「パーカーワイン」の批判
その後飛ぶように購読者が増え続け、ワインの消費者向けだったアドヴォケイト誌はワインの小売店が欠かさずチェックし、その点数を店頭で喧伝する業界紙のような広がり方もしました。また、100点満点を取ったワインの銘柄は価格が4倍以上にもなり、ワインの投資やオークションにおいても、この点数が重視されるに至りました。そんな中、ワインの作り手や愛好家の中から、パーカーの選ぶワインの偏りを指摘する声もありました。実際、ボルドー右岸、出身国であるアメリカのカリフォルニア、またはローヌ地方など、凝縮感の強いワインに高得点をつける傾向があり、世界中の野心的な生産者が、その土地の伝統から脱却し、より凝縮したワインを目指し開発された技術やトレンドも多くありました(極端な収量制限、バリックの導入や新樽率200%という試みなどなど)。その為、「パーカーによって世界中のワインが均一化してしまった」「パーカーの高得点ワインからはテロワールの個性が感じられない」などといった批判が今でもされています。

現在のパーカー

ワイン・アドヴォケイト誌の規模が大きくなるにつれ、パーカーは信頼するテイスターに特定の地区の評価を任せていましたが、2016年には刊行当初から行っていたボルドーワインの評価から手を引き、2019年5月、ついにワイン評論家としての引退を表明しました。現在74歳。破竹の勢いでワイン業界に影響を及ぼし続けた巨人に続いて、現在多くのワイン評価は100点満点の方式で行われています。パーカーがワイン業界に与えてきた影響について様々な議論がされていますが、生産者によりよい質のワインを求めるモチベーションを与え続けたことは間違いなく、ワインを世界中の消費者にとってより身近にした、といえると思います。雑誌とテレビしかワインのメディアが存在していなかった当時に比べ、ネットが発達し個人のレベルで情報発信ができる世の中になり、なかなか特定のメディアが広く世に知られることは難しくなりました。だからこそワイン・アドヴォケイト誌は、今日においてもワイン評価誌として盤石で確かな評価を下しているメディアといえるでしょう。ロバート・パーカーがなぜワイン評論家としてここまで影響力を持てるに至ったのかについては、徹底した消費者目線と、それを徹底できた背景としてワインを本業にしていなかった、ということが挙げられます。自分の評価軸に合わないワインは言葉を選ばず、良いと思ったワインに対しては称賛し、文面から伝わってくる自信と熱量は、読むものを駆きたてる力があります。ワインを楽しみ続けるには、好奇心と情熱が生産者消費者双方に少なからず必要ですが、まさに無尽蔵の好奇心と情熱を、確信をもって発信し続けてくれたのが、ロバート・パーカーなのだと思います。

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